2015/08/19

未知に満ちあふれる道を歩むこと。

500記事目。

何を書くか悩んで、ちょっと最近出来てなかった徒然文章を一つ。
読みやすさは…ちょっと二の次なので、お暇な時にでも。
タイトルは、ただ単に「みち」を三つ重ねたかっただけです。中身には関係ない。



最近、すこしざわざわとすること。

「本当に、これでいいのか」

いや、それは割と年中無休、何年にも渡って思ってる。


一応、流れを作ろうと思ったけど、むりだ。諦めた。


先日、「一度自分の価値観は脱いだ方がいいよ。汚れてたり劣化してたりするから」という感じの文章を見て、ざわざわした心の泉に割と大きな石が投じられた感覚。
中学生の頃からの座右の銘は、本当にこのままでいいのかな。
いっそ、名前を変えてもいいのではないかな。
…?
一年に一回くらいくる不安定期…かしら。しかし、改名は割と久々に思ったな。

つくれる範囲、つくれる期限。
先日、本垢でも別ベクトルで話したけど、いつだって始まれば同時に終わりを思う。
続けることから得られるものは沢山あるけれど、それが惰性であるならば、続ける価値はあるのか…と思うことはたまにある。

いつだって、私とは関係なく世界は巡って、私がどうしてようと前に進む。
だから、そのスピードにはある程度は合わせて自分も進まないと、下手をしたら道が崩れていく。がんばって、選択して、進んでいく。
でも、本当に、その道はあっているのかしら。
そんな風に思うことも、たまに…ううん、頻繁に…思う。
その表れが、真面目な話をした時の発言の不安定さだし、聡明な方とお話してるとすぐに矛盾を見破られて痛い所をつかれる。

思春期にやるのが望ましい、自己の形成を、大人になってからやっている身なので、本当にいつまで経っても上手く自己表現が出来ないし、自己開示の加減が出来ない。
0か100。
最近は、ほんの少しマシになったような気がするけど、まだまだ。だから、100話せる人を見つけると結構な勢いで食いつく自分がいるのを自覚する。

他者の価値観や人生観などをきいて、自分と比較することによって自己を確立している節がある。
しかし、「違う」ということを知識として知っていても、体感ではない。


まぁ、ちょっと最近ハマった作品の最推しキャラがたまに真面目に言うセリフが突き刺さりすぎてちょっとしんどいな、と思うことがよくあります。「いつまでも半人前」っていい言葉だと思います(ツキウタ。ドラマ!6・M1・28:00くらいのインタビューのくだり)。
音楽面で見ても、あぁやっぱり自分が望む世界はそこなんだな、と思うこともあって、すごく好きな曲だけど、ちょっとでも油断するとしんどいな、と思うことが一日に片手では足りない程度にあります(特にSolidS)。でも、音楽面で言うなら今の一番はやっぱり「雛鳥」。


やっぱり不安定期だ。なぜ500記事目にした(真顔)
最初は、ちゃんと、タイトルにあった文章を書こうと思ったんだ…でも、最近あまり落ち着いて思考をまとめないから…こうなるんだ…だめだ…着地点が見えない文章は本当駄目だ…
そこそこの状態で自分を回す術を覚えてしまったのがきっといけない…

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