2015/01/17

名前と自己認識の話。

LA/DTまで用事に行った帰りのバスでふわっと考えた事を書き留めておく。
(※バス活用スキルが上がりすぎて、「車…いるかしら…?」状態になっている最近です。)




今、このblogでは「ゆえ」と名前を表記しておりますが。
本来は苗字的な物があります(し、普段はフルネームH.N.でネット上を漂っております)。


H.N.でお会いした方に、本名を知られるのは平気。
むしろ、年賀状が大好きなのでやり取り出来るなら是非ともやりたいと思っています。

でも。

本名でお会いした方に、H.N.を知られるのは抵抗感がある。

H.N.は、かれこれ十数年つかっていて、古くからの友人も母親もたわぁも知っています。
…いや、そもそも同級生はおろか…たわぁからも普段はH.N.で呼ばれてる私です( ˘ω˘ )

本名が嫌いなわけではなく、ただ普段やり取りする場や初対面の場がH.N.を使う場所だったから、そのままH.N.呼びが定着している状態。


少々話が飛びますが、昔出入りしていた界隈で有名な方が「名前には信用が貯まる」ということを言われていました。
初めて聞いた時から今に至るまで、とても心に残っている言葉の一つです。
今のH.N.を十数年と使ってる間に、幾度か改名を考える機会はありました。でも、今でもずっと同じH.N.を使っているのは、このH.N.に宿ってる人との出会いや別れがあるから。
(H.N.を最初に考えた時はちょっと違っていたので、「改名した事がない」訳ではないのですが…それは数ヶ月で今の物に変更されましたし、そちらを覚えてる人は最早片手いるかどうか…と言った所。
あと、完全に余談だしこういう事を書くの良くないな、と思いますけど…こういうことから、名前をころころ変える人はあまり好きじゃないです。)



家族や友人にも普段からH.N.で呼ばれること、H.N.に蓄積されている思い出。
こういった物から、「私」という存在は本名だけでなくH.N.も合わせないと語れない物になっています。
でも、H.N.は世間的にあまり認められないと思っている趣味を持つ自分が投影されているので、本名しか名乗らない場で出会った方には知られたくないんですよね。


似たようなことを最近書いたな、引用しようかしら…と思ったら、「免許取得あれそれ~心のヒーロー」でほぼ同じことを言ってました。

…あれ、待って、今回の記事、必要なの…???
私の名前へのこだわりすごいですね???


えっと。

多分、本名しか知らない人にH.N.を知られるのが嫌なのは。
抑圧された自分の一面を知られることになり、更に否定されるのが嫌だからだと思います。
「こわい」というより、否定されることによる自分への感情の影響を処理するのが「しんどい」から。
昔は怖かったんですが、今は処理が出来る。でも、処理するにはまだまだ時間がかかったりしてしんどかったりする時があるので、出来ればそう言う手間を省きたい気持ちが強いのだろう…という考察。


内容が以前と被り過ぎてて、愕然としましたが…
まぁ、考えた事を記事にするのは今年のテーマなので、書ける時に書いておきましょう。
とりあえず、言葉にしておくとそれを見て更に考えを深められるので、積極的に思った事を拙いなりに言葉にしていきたい所存です。


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2 件のコメント:

  1. 残そう、といわれたので残しに来ましたw
    今更ながら自分の名前を変えたくなって(小さい“ぃ”に抵抗が出てきた)、
    でも今までの繋がりがあるので変えれずにいたので
    この記事すごい府に落ちてちょっと感動しました。
    この名前で繋がってくれてる方が増えてきて、身内であだ名がついたりして、
    本名と同じく好きとか嫌いとかでなく、自分を表すものになっているので
    変えるに変えられないんですよね…もうあとは好きになるしかないか。
    でも、将来自分に子供ができたりしたらやっぱり黒歴史になるのかな、とかw

    HN繋がりの方に本名を知られるのは厭わないのですが、本名でのお付き合いの方にHNを知られるのは憚られる、と言うのもすごく分かります。
    HNって趣味とか、割と自分のコアな部分で使ってるので。
    そもそもこんな別名を名乗ってる事自体が引かれるんじゃないかな、とか思ったり。
    私はまだ自己処理が上手くできず、「こわい」の段階ですね…
    人間って思ったより成長しませんね。子どもの頃思ってた“大人”の年、もう通り越してるんですけど。

    名前の話から関係ない話までだらだらと、失礼しました(^_^;)

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    1. コメントありがとうございます!
      壁打ちの気持ちで書いてるblogですが、常に反応をお待ち申し上げているので嬉しい!とても嬉しい!!

      私の名前は愛し子(創作キャラ)の名前を借りている部分があるのですが、名前を勘違いされることがとても多く、その度に愛し子に申し訳なく思ったりすることがあります。
      私が改名を何度か考えるのは、主にはこういった「外からの理由」です。
      それに関しては、最初から「こう呼んでくれると嬉しい」と表明すればいいんだよな…と思ったので、近年は最初にそう言うようになっています(このblogでひらがな表記なのはここからでもある)。
      それ以外は、名前の響きも使っている文字も意味もすべて気に入ってる物なので、それこそ「私の世界」が反転する勢いで変わらなければ改名はないと思っています。

      ですが、私と違って「小さい"ぃ"に抵抗が出てきた」という「自分の中から出てきた理由」であるなら、それはきちんと向き合って変えるかどうか考えた方がいいかもしれません。
      改名の周知と言うのはなかなか難しいですが、少なくとも大事に思ってくれる方々は意思を尊重して対応してくれるものです。
      名前は一番簡単に扱える言霊なので、齟齬を感じているとそこから精神の不調が気付かぬうちに蓄積されると思うのです。私はこの様に考えるので、前述の通り、一度考えてみることをおすすめします。

      子供の頃思ってた"大人"の年、と聞いてトッキュウジャーをちょっと思い出しました・ω・*<子供である5人が強制的に「大人」になる際に、各個人が思い浮かべる大人の姿になっている…という考察をされている方がいらっしゃったのです。
      (本気でまったく関係ない話で締める)

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